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福岡地方裁判所 昭和58年(ワ)2058号 判決

原告

清家一雄

右訴訟代理人弁護士

大原圭次郎

古海輝雄

被告

福岡県

右代表者知事

奥田八二

右訴訟代理人弁護士

国府敏男

山田敦生

主文

一  被告は、原告に対し、金一億三三四六万八一七八円及びこれに対する昭和五八年八月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分のうち金八〇〇〇万円の限度で、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一億五六三五万一八一八円及びこれに対する昭和五八年八月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告(昭和三二年二月二四日生まれ)は、後記2記載の事故(以下「本件事故」という。)当時、福岡県立修猷館高等学校(以下「修猷館高校」という。)第二学年に在学していた生徒で、同校ラグビー部に所属していた。

被告は、修猷館高校の設置者であり、渕本武陽教諭(以下「渕本教諭」という。)は、被告の教育公務員で、同校ラグビー部の顧問をしていた。

2  本件事故の発生

原告は、昭和四八年七月二六日午後六時一七分ころ、修猷館高校グランドにおいて、渕本教諭の指導のもとで開始された同校ラグビー部の夏季合宿中における社会人チームとの練習試合中、同高校生チームのフッカーである宮地潔が負傷退場したため、急きよ交替してフッカーとして出場したものであるが、同日午後六時三〇分ころ第三回目のスクラムを組もうとした際、相手社会人チームのスクラムへの集結及び突つかけが速かつたため、スクラムを組み負けるのを嫌つた高校生チームの両プロップが組み直しを図つて意識的に立つたままでいたにもかかわらず、フッカーとして未熟でありながら初めて試合に出た原告は、マイボールを取ろうとスクラムハーフが持つていたボールばかりに目を奪われ、しかもフッカーとして必要なスクラムリードの技術を習得していなかつたため、右両プロップの動きを知らずにスクラムを組もうと一人で相手チームに突つ込んでいつた結果、自己の頭がおそらく相手フロントロー(スクラム第一列)の肩付近に当たり、第四、五頸椎脱臼骨折、頸髄損傷の傷害を負い、事故当日から昭和五〇年七月三一日まで病院に入院して治療を受けたが、現在、躯幹四肢麻痺の後遺症が残り、完全介護を要する状態となつている。

3  被告の責任

(一) 被告の安全配慮義務

(1) 生徒が県立高校に在学する場合の在学関係は、生徒と当該高校の設置者である県との間の契約に基づき基本的に成立するものであり、県は当該在学契約に内在する当然の義務として、学校教育の場において生徒の生命、身体等を危険から保護するための措置をとるべき義務(安全配慮義務)を負つている。

(2) 仮りに県立高校における在学関係が契約上のものと認められず、県による入学許可という行政処分により発生する法律関係であるとしても、右法律関係が一定の目的達成のための管理権を伴うものである以上、これに内在し又は付随するものとして、信義則上、管理者たる県は、被管理者たる生徒の身体・生命、健康について安全配慮義務を負う。

(二) 被告の安全配慮義務の懈怠

(1) ラグビーは柔道とともに最も危険なスポーツで、従来死亡等の重大事故も多数発生しており、特に事故による死亡者の半数はいまだ技術の未熟な高校生であり、ポジションとしてはフォワード特に最も経験の必要なフロントローに経験の浅い者が起用された場合に事故が多発しているのであるから、高校生のラグビー部を指導する者としては、未熟者をゲームに出場させることは厳に慎まなければならないのはもちろん、高校生チームを成年男子チームと対戦させるに当たつては、特に相手方チームの技能、体力を考慮するほか、高校生チームの技能、体力、体調等にも注意し、両チームの技能、体力等に格段の差があるようなときは、そもそも対戦をとりやめるか、あるいは特に未熟な生徒を出場させないようにして、双方の技能、体力等の差に起因する不慮の事故が起こることのないようにすべき注意義務がある。

(2) ところで、原告は、ラグビー部に入部して本件事故当日まで九ないし一〇か月しか経過しておらず、二年生になつて五月にバックスからフォワード(フランカー)に転向したばかりで、フッカーとしては三対三のスクラム練習の際、レギュラーの練習台を短期間だけした経験しかなく、フッカーとして必要なスクラムリードやフッキングの技術は全く習得しておらず、フッカーとしては未熟というより未経験というにふさわしい程度の技能しか有していなかつたし、体力面でも二年生の四月当時、身長171.5センチ、体重五五キロ、胸囲83.5センチと極めて細身で非力型の体型で、当たりも弱く、本件事故当時の体調は夏季合宿中で疲労困憊していて十分でなかつた。

これに対し、本件練習試合の相手チームは九州電力を主体とした社会人のチームで、九州電力の選手が一〇名位と修猷館高校ラグビー部OBが五名位の混成チームであり、フロントローは全員九州電力のメンバーであつたが、当時の九州電力チームは九州地区で一、二位を争う程の実力チームで、メンバーの平均身長は一七四センチ、平均体重は73.9キロもあり、原告をはじめ修猷館高校チームのメンバーとは比較にならない程、技能、体力において勝つていた。

(3) 以上のとおり、原告と相手チームメンバーの技能、体力等に格段の差があることは明らかであつたのであるから、渕本教諭としては、本件試合において宮地潔の負傷退場により別の選手をフッカーとして起用するにあたり、フッカーが最も危険なポジションであることに思いを致し、前記のとおり未熟で疲労していた原告をフッカーとして起用すべきではなく、むしろ、フッカーの経験のある田篭功一を起用すべきであつたにもかかわらず、不用意に原告をフッカーに起用し、しかも相手フォワードの肩に手を当てさせずにスクラムを組ませたために、前記の経過で本件事故を発生させたものであるところ、長年高校ラクビーの指導者をしてきた渕本教諭としては、原告をフッカーに起用すれば本件のような事故が発生することは、十分予測可能であつたものといわなければならない。

(4) 従つて、被告の履行補助者としての渕本教諭には、原告に対する安全配慮義務の懈怠があり、これにより本件事故を発生させたのであるから、被告は原告が被つた後記4記載の損害を賠償する義務がある。

4  原告の損害

(一) 逸失利益

金七二九一万三七四二円

原告は、躯幹四肢麻痺の後遺症により労働能力を一〇〇パーセント喪失し、終生これを回復することは不可能に近い。原告は、右後遺症にもかかわらず、その後大学に入学してこれを卒業していることからすれば、本件事故にあわなければ遅くとも二四歳となつた昭和五六年から六七歳になるまでの四三年間、新大卒として相当な収入を得られたはずである。

そこで、その逸失利益を昭和五六年度賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、新大卒、年令計の平均給与額を基準に、ライプニッツ方式(係数17.5459)により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、金七二九一万三七四二円となる。

(251,200×12+1,141,200)×17.5459

=72,913,742

(二) 付添看護費用

金七三五九万七八一九円

原告は、退院後も排尿、排便、食事、入浴等日常生活上の基本的行為全般にわたり、常に他人の付添介助を要し、この状態は終生継続するものと考えられる。原告は、これまで両親、兄弟及び職業的付添看護人の付添看護を受け、今後も同様の看護を受けざるを得ないが、原告の状態よりして両親及び兄弟は四六時中付添看護をなす必要があり、その労力たるや想像に余りあること、両親は原告の存命中最後まで同人の看護を続けることはできないこと等の事情を考慮すれば、原告の付添看護費用は、職業的付添看護人のうち看護補助者の看護料金を基準として算定するのが相当である。

そこで、右料金の改正がなされた度毎にこれを基準に計算すると次のとおりとなる。

(1) 昭和四八年一一月二六日から同五一年四月三〇日まで(八八六日)

金二四二万七六四〇円

2,740×886=2,427,640

(2) 同五一年五月一日から同五三年四月三〇日まで(七三〇日)

金三六五万一四六〇円

5,002×730=3,651,460

(3) 同五三年五月一日から同五四年六月一〇日まで(四〇六日)

金二四一万一六四〇円

5,940×406=2,411,640

(4) 同五四年六月一一日から同五六年七月三一日まで(七八二日)

金四八九万三七五六円

6,258×782=4,893,756

(5) 同五六年八月一日から同五七年七月三一日まで(三六五日)

金二四七万七九八五円

6,789×365=2,477,985

(6) 同五七年八月一日から同五九年九月三〇日まで(七九二日)

金五六八万二六〇〇円

7,175×792=5,682,600

(7) 同五九年一〇月一日以降

金五二〇五万二七三八円

原告の昭和五九年簡易生命表による平均余命年数四八年間分について、ライプニッツ方式で年五分の中間利息を控除して現価を求めた。

7,889×365×18.0771=52,052,738

(三) 入院中の雑費

金七三万六〇〇〇円

原告は、本件事故による傷害の治療のため、昭和四八年七月二六日から同五〇年七月三一日までの七三六日間病院に入院したが、その間の入院雑費は一日につき金一〇〇〇円が相当であるので、合計七三万六〇〇〇円となる。

(四) 慰謝料 金二〇〇〇万円

原告は、本件事故により、常時介護を要する躯幹四肢麻痺の障害を残し、就職、結婚等は不能となり、将来の人生への希望を失うに至つたものであり、その精神的苦痛は甚大で、これを慰謝するには金二〇〇〇万円が相当である。

(五) 弁護士費用 金一〇〇〇万円

被告は、原告に対し、任意に本件損害賠償債務を履行しないので、原告は、弁護士である訴訟代理人に本件訴訟の追行を委任することになつたが、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用としては金一〇〇〇万円が相当である。

5 よつて、原告は、被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、損害金合計金一億七七二四万七五六一円の内金一億五六三五万一八一八円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五八年八月一八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、原告主張の日時、場所において、渕本教諭指導のもとで、修猷館高校ラグビー部の夏季合宿中に行われた社会人チームとの練習(練習試合ではない)中、負傷退場した宮地潔に替わつて原告がフッカーとして出場して第三回目のスクラムを組んだ際、原告が第四、五頸椎脱臼骨折、頸髄損傷の傷害を負い、事故当日から昭和五〇年七月三一日まで病院に入院して治療を受けたことは認め、原告に完全介護を要する後遺症が残つていることは不知、その余の事実は否認する。

3(一)  同3(一)(1)、(2)の主張は争う。

(二)(1)  同3(二)(1)の主張は争う。

(2)  同3(二)(2)の事実は争う。

(3)  同3(二)(3)(4)の主張は争う。

4  同4の事実は否認する。

三  被告の主張

1  安全配慮義務について

県立学校の設置者は教育施設の目的達成に必要な範囲と限度において生徒を包括的に支配し、生徒はこれに包括的に服従すべき関係にあると見るべきであるから、被告は原告主張のごとく生徒に対し在学契約上の安全配慮義務を負うことはない。

2  原告の技能、体力、経験について

原告は、一年生の二学期の昭和四七年一〇月にラグビー部に入部し、レギュラーを目ざして真面目に練習に励んでいたが、翌四八年三月か四月にフォワードに移り、スクラムの練習の際にはプロップ以外のポジションはすべて経験し、スクラムの基本である三対三の練習の際、練習台のフッカーを経験しており、これによりスクラムのタイミングの取り方、リードの仕方その任の技術を十分会得し得たのであつて、体格面でも本件事故当時は一年生時に比べ一段と向上していた。

3  夏季合宿の練習について

ラグビー部の右合宿中の練習は、平常の練習よりもやや厳しくはあるものの十分余裕のあるスケジュールで、決して過度にわたり部員の疲労を招くようなものではなかつたし、本件事故当日も特に過度の練習をして疲労の度合いが大きかつたとはいい難い。

4  本件練習について

本件事故は午後の練習の際に行われた総合練習である「試合形式の練習」中に発生したものであり、右は練習試合とは根本的に異なる。即ち、練習試合とはルールに則つて公式戦に準ずる形で実施して勝敗を決するもので、メンバー表を交換し、選手及びレフェリー以外場内に入ることはできないのに対し、「試合形式の練習」は随時選手の交替を行えるし、指導者がレフェリーをつとめ、かつ場内に入つて必要に応じ指示を与えることもできるし、メンバー表の交換もなく、試合時間も二〇分を目安にして適宜決め、勝敗を争うものではない。

5  本件練習の相手チームについて

本件事故発生の際の試合形式の練習の相手チームは、修猷館高校ラグビー部OBや九州電力ラグビーチームのメンバーの混成であつたが、高校生チームと右混成チームとのフォワードの力は、少し後者の方が勝つていたものの、これは生徒の技量の向上を期待する上で当然必要なことである。そして、試合形式の練習においては、OB側が生徒の技量を向上させるために相手になつているのであるから、状況に応じて適宜対応してくれるものである。

6  原告のフッカーへの起用について

本件において原告をフッカーに起用したのは、渕本教諭が生徒の中のフォワードリーダーや三年生の意見を聞き、フォワードコーチにも相談の上、フッカーの練習をしていた原告が最も適任であると判断したためである。他にフッカー経験者としては田篭功一、立花尊顕がいたが、田篭は当時フランカーとして定着しており、立花は一年生で技術的にも未熟であつたため、必然的に原告を起用することが最も妥当だと考えられたのである。

7  本件事故の原因について

本件事故は第三回目のスクラムを組む際に両プロップが一瞬組み遅れたために生じた偶発的なものであつて、前記1ないし6で述べたとおり原告の技術、体力、疲労度、相手チームとの技量、体力の差等が本件事故の原因となつたものということはできない。

原告は本件スクラムの際、マイボールを取らぬばならないとの思いが先立ち、フッキングが気になつてスクラムハーフのボールにばかり目を奪われて両プロップの動きを知らなかつたと主張するが、しかし、第一回目のスクラムのときは原告はマイボールを取つており、第二回目も何ら異常はなく、またスクラムハーフは声をかけてボールをスクラム内に入れるのでフッカーとしては足元のボールを見てフッキングを開始すれば足りるのであるから、ラグビー部に入部して一〇か月余りも経過し、実戦にも参加している原告がスクラムハーフの持つていたボールばかり見ていたとは到底考えられない。

以上のとおり、本件事故は渕本教諭の全く予想し得ない状態で突発的に生じた不慮の事故というほかはなく、同教諭には何らの安全配慮義務違反もないというべきである。

四  被告の主張に対する反論

被告の主張はすべて争う。

なお、本件ゲームは、試合と同様二〇分ハーフ、一五人対一五人で行われ、試合と同じルールが適用され、レフェリーがついて点数もつけ、途中で指導のためゲームを中断して練習したり悪い点を注意したりすることもなく、進行も通常の試合と全く同じであつた。このように本件ゲームは本格的なものであつて、単なる練習とは全く異なり、事故発生の危険性は極めて高かつたというべきである。

五  抗弁

本件事故に関し、昭和五三年一二月二三日、日本学校安全会(現日本体育・学校健康センター)から第一級の廃疾に該当するとして、原告に対し廃疾見舞金一五〇〇万円が支給された。

六  抗弁に対する認否

認める。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二本件事故の発生に至る経緯について

1  原告が、昭和四八年七月二六日午後六時一七分ころ、修猷館高校グランドにおいて、渕本教諭の指導のもとに開始された同校ラグビー部の夏季合宿中における社会人チームとの練習中、負傷退場した宮地潔に替わつてフッカーとして出場し、同日午後六時三〇分ころ第三回目のスクラムを組んだ時、第四、五頸椎脱臼骨折、頸髄損傷の傷害を負い、事故当日から昭和五〇年七月三一日まで病院に入院して治療を受けたことは当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば、以下の各事実が認められ、〈証拠〉中、この認定に反する部分は前掲その余の各証拠に比照して容易に措信し得ず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告は、昭和四七年四月に修猷館高校に入学し、同年一〇月ころ同校ラグビー部に入部し、当初はバックスのポジションで走り込み等の基礎練習を行つた後、二年生に進級した同四八年四、五月ころフォワードに転向して、以後本件事故にあうまでフランカー(補欠)として練習をしてきた。

(二)  渕本教諭は、昭和三八年に被告よりその出身校である修猷館高校の保健体育担当の教諭に任命されてから今日まで、同校のクラブ活動であるラグビー部正顧問(但し、昭和五四、五五年は副顧問)として、右クラブ活動の指導監督に当たつてきたが、自らも中学、高校、大学及び社会人を通じてラグビーの実戦経験を有しており、その他九州ラグビーフットボール協会の常任理事等もつとめていた。

(三)  昭和四八年七月二四日から一週間の予定で、修猷館高校ラグビー部の部活動の一環として例年どおり夏季合宿が開始されたが、右合宿においては、事前に生徒の保護者の承諾を得たうえで、生徒は校内にある合宿施設に寝泊りしながら参加する形態をとつていた。

本件事故は、右合宿の第三日目に生じたものであるところ、当日は前日同様スケジュールどおり午前六時半ころ起床して八時ころまで基礎練習を行い、朝食、補習、昼食、午睡を経て午後四時ころから六時ころまで練習して一段落した後、同六時一七分ころから社会人チームとの練習ゲーム(以下「本件ゲーム」という。)が渕本教諭の指導のもとで実施されたが、右ゲームについては夏季合宿予定表には記載がなく、部員にも事前に予告されていなかつた。

なお、本件ゲームの性格については当事者間に争いがあるが、選手は社会人一五名対高校生一五名で、前後半二〇分ずつのハーフでレフェリー(渕本教諭が担当。)もついて点数もつけ、試合開始から本件事故発生のため中止されるまでの間、被告主張のように随時選手を交替させたり、場内に入つて必要に応じて注意を与えたりすることはなく、指導する側の主観的意図並びにメンバー表の交換等の形式はともかくとして、その内容は試合と変わらないものであつた。

(四)  本件ゲーム開始直後に高校生チームの正規のフッカーとして出場していた三年生の宮地潔が顎を相手選手の肩に当てて退場したため、渕本教諭は、高校生チームのフォワードリーダーや三年生部員に選手交替につき相談したところ、当初本件ゲームにフランカーとして出場し二年生までフッカーをしていた三年生の田篭功一の名が出たが、結局原告がフッカーの練習をしているので適任であるということで、原告を宮地の替わりにフッカーに起用することに決めた。そこで、本来フランカーの補欠として本件ゲームを観戦していた原告は、急きよ途中から右ゲームにフッカーとして出場することとなつた。

(五)  ところで、原告が起用されたフッカーは、スクラム(フォワード)の第一列(フロントロー)中央のポジションで、左右両プロップに挟まれて三人でフロントローを構成してスクラムの要をなし、その主たる役割はスクラムを組んだ際にスクラムハーフがスクラム内に投入したマイボールを足で掻いて味方のスクラムハーフへ送ること(この技術を「フッキング」という。)であり、加えて良いスクラムを組むためにスクラムをうまくリードすることも大切な任務とされている。それゆえに、フッカーはラグビーのポジションの中でもフッキング及びスクラムリード等の技術が必要不可欠な難しいポジションとされ、また体型的には小柄でも骨太でがつちりした体格の者が適任とされている。

(六)  ところが、原告はフランカーが本来のポジションであり、フッカーとしては前記(一)のとおりフォワードに転向後本件ゲームまでの三、四か月の間だけ、レギュラー選手が三対三のスクラム練習を行うのに人数が不足した際に、他の者と交替で練習台側のフッカーを勤めた経験しかなく、しかも、練習台の選手はレギュラーの三人が一日二〇本位突つかけて来るのをただ受け止めるだけなので、練習台側のフッカーをしたからといつてフッキングはもちろんのことスクラムリードの技術をマスターすることは難しく、他にフッカーとして必要な技術を習得するための練習経験はなく、フッカーとしてゲームに出るのも本件が初めてであつた。

このように原告は、フッカーとしてきわめて未熟であつただけでなく、ラグビーを始めて未だ一〇か月位しか経つておらず、実戦経験も高校生同士の練習試合にフォワードのナンバーエイト(スクラム最後列のポジション)及びフランカー(約五分間だけ)として各一回ずつしか出場しておらず、ラグビーの経験自体浅いものであつた。

体格、体力面では、昭和四八年度のメンバー表によれば、修猷館高校の部員は平均身長約一七〇センチ、同体重約六二キログラムであり、原告についてみれば同年四月の測定時には身長171.5センチ、体重五五キログラム、胸囲八三、五センチあり、入学時に比べてやや体格は向上したものの、依然細身の体型ということができ、非力で当たりも弱く、首の筋力強化のトレーニング(首上げ)もしたことがなく、フォワードへの転向も体力を向上させて当たりを強くすることが主たる目的であつた。

当時の体調については、高校生チームの選手は原告をはじめとして本件ゲーム前の練習が通常よりも激しかつたこともあつて、かなりの疲労を感じている者が多かつた。

(七)  これに対し、対戦相手の社会人チームの選手の氏名等の詳細は明らかではないが、修猷館高校OB(コーチ)が来援を求めたためやつて来た九州電力チームのレギュラー及び補欠の選手が約一〇名、修猷館高校OBの選手が約五名という構成の混成チームであり、そのうちフロントローは全員九州電力の選手であつた。

ところで、相手チームの主力メンバーが所属する九州電力チームは、当時九州社会人ラグビーのAリーグに加わつており、前年の昭和四七年度春の全国社会人大会でベストエイトに進出するほどの強力チームであり、同年のメンバー表によれば平均身長約一七二センチ、同体重約七二キログラムであつたが、本件ゲームにおいて実際に対戦した社会人チームは、高校生チームに比較して、当たりが相当強く、フォワードの集結及び突つかけ(スクラムを組むために構えてから組むまでのスピード)が速く、スクラムも強力で、体力、技能ともに格段勝つていた。

(八)  原告は、宮地に替わつてから、いずれも二年生の村田親哉(左プロップ)、伊佐幸雄(右プロップ)とともにフロントローを構成して相手チームとスクラムを二回組んだが、フッカーのレギュラーであつた宮地は以前より声をかけ両手で左右プロップを押し込むようにしてタイミングよくスクラムリードを行つていたのに比し、原告は右二回ともスクラムを組む際にスクラムリードを全く行わなかつたため、フロントローの三人は各人ばらばらにスクラムを組むという状態であつた。それでも、第一回目のスクラムは宮地の負傷退場後のスクラムでフォワードがポイントに集結していたため相手チームから突つかけられることなく、たまたまうまくスクラムを組むことができ、第二回目のスクラムは相手ボールであつたため、原告自身ボールに目を奪われなかつたことが幸いして無事に経過した。

なお、通常の高校生同士の試合では、事故防止のため、スクラムを組むに際し互いにプロップが相手プロップの肩に手を当てるのが慣例となつていたが、本件ゲームにおいては、相手プロップが右のように手を当てることをしなかつたため、高校生チームのプロップも手を当てないままスクラムを組んでいた。

(九)  さて、高校生チームのマイボールで第三回目のスクラムを組もうとした際、相手チームはフォワードのポイントヘの集結が早く、すぐにスクラムを組む体勢ができていたのに対し、高校生チームの方はフロントローはポイントで中腰の状態で構えたものの全体としてはスクラムの体勢をつくる途中にあつたため、タミングよくスクラムを組むことが難しく、組んでも組み負けてしまうし無理に組めばかえつて危険であると判断した両プロップの村田及び伊佐は、スクラムを組むのをやめて意図的に中腰の姿勢から立ち上がつた姿勢のままでいたのであるが、フッカーとしてきわめて未熟で実戦経験にも乏しく、本件ゲームに出場した際に味方スクラムハーフよりマイボールは必ず取るように注意されていたこともあつて、フッキングに不安を感じていた原告は、フッキングを行うことにのみ気を取られ、自分の足元とスクラムハーフの持つているボールばかりに注意を集中したために、両プロップがスクラムを組むのを中止したことに全く気づかないまま、相手フォワードが突つかけて来そうな気配を感じて素早くフッキングをしなければいけないと思い、中腰の姿勢のまま首(頭)だけを前方に差し出したところに相手フォワードが突つかけてきたため、同選手の肩に自己の首を激突させ、前記1の傷害を負つた。

三本件事故の原因について

右二2認定の各事実よりすれば、本件事故は単なる偶発的なものではなく、体力、技能において格段に勝つている社会人チームとの本件ゲームに、フッカーとしての技術及び体力の面で未熟で実戦経験の少ない原告が、突然フッカーとして起用されて心理的に激しく動揺しながらスクラムを組もうとしたために生じたものであると認めるのが相当である。

四原告のその後の症状の経過について

原告が、本件事故による前記傷害のため、本件事故当日より昭和五〇年七月三一日まで病院に入院して治療を受けたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原告はその後総合せき損センターで機能回復訓練を受けたが、前記傷害の結果躯幹(乳部以下)、上肢(肩部以下)、下肢(全体)にわたり知覚及び運動機能が麻痺し、自ら起き上がつたり歩行することはもとより、寝返りすら打てず、排尿、排便、入浴等も一人ではできず、食事も簡単な食物に限つて手のひらに補助具を付けてとることができるだけで、補助具を使用しても判読しうるような字を書くことは困難であり、文書は専らワードプロセッサーを使用して作成しており、その他日常生活全般にわたつて介助を必要とする状態となつたが、右症状は昭和五八年の段階ですでに固定して今後回復する見込みはないことが認められる。

五被告の責任について

1  被告の安全配慮義務

原告は、被告の責任原因として債務不履行としての安全配慮義務違反を主張し、右義務の発生根拠として第一に原告と被告との間の在学契約を掲げている。しかし、県立高校における生徒の在学関係は、私立高校におけるように契約によつて生じるものではなく、行政主体である県の行政処分(入学許可)により生ずる公法上の法律関係であると解するのが相当であるから、右原告の主張(請求原因3(一)(1))は採用し得ない。

しかしながら、県立高校においても、県は高校を設置し、これに生徒を入学せしめることにより教育法規に従い生徒に対し施設等を供与し、教論をして所定の教育を施す義務を負い、他方生徒(ないしは保護者)は県に対し授業料を払い、同校において教育を受けるという関係にあるのであるから、右両者は特別な社会的接触の関係に入つたというべきであり、高校の設置者である県は、右関係に基づき、信義則上、学校教育の場において当該生徒に対し、その生命、身体、健康についての安全配慮義務を負うものと解すべきであるから、この点の原告の主張(請求原因3(一)(2))は理由がある。

従つて、本件事故当時、被告は、その設置する修猷館高校に在学していた原告に対し、学校教育の場(本件では同校クラブ活動としての夏季合宿)において生ずる危険から同人の生命、身体、健康を保護し、その安全に配慮すべき義務を負つていたものである。

2  安全配慮義務の懈怠の有無について

そこで、以下、被告の原告に対する安全配慮義務の具体的内容及び同義務違反の有無につき検討する。

(一) 〈証拠〉を総合すれば、ラグビー競技は格闘技、競走技、球技を総合した激烈なスポーツであり、過去わが国において競技中に多数の死亡事故が発生しており、特に死亡例の半数は高校生で、ポジションからいえば最も技術を要するフロントローに経験の浅い者が起用された際のスクラム事故が多数を占めていることが認められる。

それゆえに、高校生のラグビー部部活動の指導に当たる者としては、生徒の技能の向上にのみ意を用いることなく、事故防止対策として高校生チームを成年男子チームと対戦させることはできるだけ慎み、対戦させるに当たつても相手チームの技能、体力を考慮するとともに、高校生の技能、体力、対調等にも注意し、両チームの技能、体力等に格段の差があるときは対戦をとりやめるか、少なくとも経験と技術が特に必要で危険なフロントローに経験の浅い者を起用しないようにして、両チームの技能、体力等の差に起因する不慮の事故が起こることのないように注意すべき義務を負うものといわなければならない。

(二)  ところで、渕本教諭は、前記二2認定のとおり、長年修猷館高校ラグビー部部活動の指導に携わつており、しかも本件ゲームにおいてはレフェリーとして関与して両チームの動きを十分観察していたのであるから、高校生チームの正規のフッカーである宮地が負傷退場したあとを補充するについては、相手が高校生チームと実力において格段の差のある強力な社会人チームであることからして、たとえ三年生の部員らが原告を推せんしたにせよ、原告は前記のとおりフッカーとして甚だ未熟な選手であるから、かかる原告をフッカーとして急きよ起用すれば本件のごとき重大な事故が発生するおそれがあることに思いを致し、原告の技量に鑑み、同人をフッカーとして本件ゲームに出場させることは絶対に避け、もつて原告の身体の安全に配慮すべき義務があつたものといわなければならない。しかるに渕本教諭は、部員からの推せんを認めて原告をフッカーに起用したのであるから、右安全配慮義務に違反したものといわざるを得ない。

(三)  従つて、被告は、債務不履行責任に基づき、履行補助者である渕本教諭の右安全配慮義務違反により生じた本件事故によつて原告が被つた後記六記載の損害を賠償する義務がある。

六原告の損害

1  逸失利益

前記四認定の原告の症状及び原告本人尋問の結果によれば、同人の労働能力喪失率はその生涯を通じて一〇〇パーセントと認めるのが相当である(もつとも、〈証拠〉によれば、原告は本件事故後修猷館高校に復学し、昭和五三年四月には九州大学法学部に入学し、同五九年三月に同大学を卒業したことが認められるが、それは親族等の絶大なる援護によるものであることが明らかであつて右労働能力喪失率を一〇〇パーセントと認める支障とはなり得ない)。ところで、当事者間に争いのない原告の生年月日(昭和三二年二月二四日)及び弁論の全趣旨によれば原告は、本件事故がなければ遅くとも二四歳となつた昭和五六年には同大学を卒業し得たものと認められ、同大学卒業時の二四歳から六七歳まで四三年間就労可能であつたというべきである。

そこで、昭和五六年度賃金センサス第一巻、第一表、産業計、企業規模計、男子労働者、新大卒、全年令平均給与額を基礎として、原告の予想年収を計算すると四一五万五六〇〇円(一か月当たりの所定内給与額二五万一二〇〇円を一二倍したものに年間賞与その他特別給与額一一四万一二〇〇円を加えた額)となるので、右金額を基準として、ライプニッツ方式(係数17.5459)により年五分の中間利息を控除して原告の昭和五六年当時における逸失利益の現価を算出すると金七二九一万三七四二円となる。

4,155,600×17.5459=72,913,742

2  付添看護料

前記認定のとおり、原告は日常生活全般にわたり、付添、介助が生涯を通じて必要である。

ところで、原告は職業的付添看護人のうち看護補助者の看護料を基準として、原告の付添看護料を算定すべきである旨主張するが、原告本人尋問の結果によれば、事故発生後、現在までの原告の付添看護は原告の弟が主体となつて行つてきていることが認められるのであるから、少なくとも昭和四八年一一月二六日以降同六二年七月二四日(第一審口頭弁論終結時)までの期間については利潤を含んだ労働賃金である前記看護料金を基準として付添看護料を算定するのは相当ではなく、むしろ看護の実体からしてその料金は一日三五〇〇円として算定すべきである(なお、後記昭和五八年八月一八日以降の中間利息は少額であるから控除しない)。

他方、〈証拠〉によれば、原告の弟は現在大学の四年生に在学し、近い将来原告の付添介助を行えなくなるものと予想され、原告の両親も病気がちで体が弱く、しかも原告が余命をまつとうする間最後までこれを介助することは難しいことが認められ、また、弁論の全趣旨よりすれば原告は前記後遺症のため結婚することは難しいことも認められ、これらの事実に前記原告の後遺症の程度を合わせて考えれば、昭和六二年七月二五日以降の将来の付添看護料については、原告主張のとおり看護補助者の付添看護料を基準にして算定するのが相当である。

そこで、以下、これを前提に原告の付添看護料を算定する。

(1)  昭和四八年一一月二六日以降同六二年七月二四日まで(四九八九日)

金一七四六万一五〇〇円

3,500×4,989=17,461,500

(2)  昭和六二年七月二五日以降

当事者間に争いのない原告の前記生年月日によれば、同五八年八月一八日(遅延損害金の起算日)の時点において原告は満二六歳であり、同五八年簡易生命表によれば、満二六歳の男子の平均余命は七六歳までの五〇年であり、〈証拠〉によれば、同五九年一〇月一日以降の福岡県における看護補助者のせき髄損傷者に対する付添看護料は一日当たり金七八八九円であることが認められるから、右金額を基準にしてライプニッツ方式により年五分の中間利息を控除して、原告の昭和六二年七月二五日以降七六歳に至るまでの付添看護料の昭和五八年八月一八日当時における現価を算定すると金四二三五万六九三六円となる。

7,889×365×(18.2559−3.5460)

=42,356,936

3  入院雑費

原告が本件事故の傷害により昭和四八年七月二六日以降同五〇年七月三一日までの七三六日間病院に入院したことは当事者間に争いがなく、その間の入院雑費としては一日当たり金一〇〇〇円が相当と認められるから、七三六日間で金七三万六〇〇〇円となる。

4  慰謝料

原告の前記後遺症状、療養経過、将来の見通しその他諸般の事情を考慮すると、原告の受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては金一〇〇〇万円をもつて相当とする。

5  損害の填補

本件事故に関し日本学校安全会(現日本体育・学校健康センター)から第一級廃疾に該当するとして、原告に対し廃疾見舞金一五〇〇万円が支給されたこと(抗弁事実)は当事者間に争いがないから、日本体育・学校健康センター法第四四条の法意に照らし、右金額の限度で原告の損害が填補されたものとして、これを控除するのが相当である。

6  弁護士費用

被告が任意に以上の賠償金の支払をしないので、原告において原告訴訟代理人弁護人両名に本件訴訟の提起、追行を依頼したことは本件記録上明らかであるが、本件訴訟の難易度、認容額等諸般の事情を考慮すれば、原告が被告に対し弁護士費用の損害として請求できる額は金五〇〇万円と認めるのが相当である。

七結論

以上の次第で、被告は、債務不履行に基づく損害賠償として、原告に対して金一億三三四六万八一七八円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五八年八月一八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

よつて、原告の本訴請求は、右義務の履行を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官谷水央 裁判官照屋常信 裁判官髙橋亮介)

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